2011年10月24日
神を信頼する
「あなたが神と永遠性に身をゆだねるにつれて、エゴはあなたに身をゆだねるでしょう」 レナード・ジェイコブソン
ゆだねるとは、受身になって自分の力を明け渡すことではないのです。すべてを受け容れて生きる強さです。
在るがままを完全に受け容れて生きているときは、神を信頼しているという意味だとレナードは語っています。
この瞬間に在って最善を尽くし、起きていることに、完全なる信頼を寄せるとき、わたしたちは神に身をゆだねているのです。物事の背景は深遠過ぎて、わたしたちの理解を超えます。
そして、この瞬間に起こっていることを受け容れているとき、そこに苦しみはありません。
ゆだねるとは、受身になって自分の力を明け渡すことではないのです。すべてを受け容れて生きる強さです。
在るがままを完全に受け容れて生きているときは、神を信頼しているという意味だとレナードは語っています。
この瞬間に在って最善を尽くし、起きていることに、完全なる信頼を寄せるとき、わたしたちは神に身をゆだねているのです。物事の背景は深遠過ぎて、わたしたちの理解を超えます。
そして、この瞬間に起こっていることを受け容れているとき、そこに苦しみはありません。
Posted by 今西礼子 at 14:39│Comments(2)
この記事へのコメント
Posted by さちえ at 2016年09月15日 10:34
さちえさん、こちらこそいつもありがとうございます。
ほんとうにその通りだと思います。
「苦しみを生み出しているのは、起きていることを受け容れることに対するあなたの拒絶です」というレナードの言葉があります。これもとても好きなレナードの言葉の一つですが、マインドが頑なになったときに、この言葉に瞑想すると、マインドが開かれて、受容そのものになるのを感じます。
ほんとうにその通りだと思います。
「苦しみを生み出しているのは、起きていることを受け容れることに対するあなたの拒絶です」というレナードの言葉があります。これもとても好きなレナードの言葉の一つですが、マインドが頑なになったときに、この言葉に瞑想すると、マインドが開かれて、受容そのものになるのを感じます。
Posted by 今西礼子
at 2017年02月28日 14:37

※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
「私は苦しんでいる」を「私は抵抗している」に置き換えてみると、よくわかるような気がしました。
抵抗をやめて状況に身をゆだねると、苦しみは消え、苦しみの陰に隠れていた悲しみや怒りや痛みが現れ、その感情をただ感じることで、深い癒しが起こるということを、体験しました。
レナードさんがおっしゃる通り、「悲しみ」は「幸せ」の、「痛み」は「喜び」の入り口で、その入り口に入ることに抵抗することこそが苦しみなのだと、思いました。
今西さんの語る言葉は、レナードさんのものと同様、私をいつも気づきへと導いてくださいます。
ほんとうに、ありがとうございます。