2008年10月28日
パワースポットを訪れるときに
夕方、東京で散歩していたとき、高齢の男性が沈む夕日に向かって
両手を合わせて拝み礼をする光景にめぐり合った。
住宅地の合間にぽつんとある菜園に沈む夕日。
東京でも、こうして心から自然に感謝する人がいることを知ってとてもうれしくなった。
アメリカ、ニューメキシコ州にある、ネイティヴ・アメリカンの居留区のひとつテスーケ村では、
祈りを捧げないと太陽が昇らないと信じて、
今でも毎朝祈りを捧げていると、地元の友人から聞いた。
こういう気持ちが地球にとっては癒しになり、自然とのコミュニケーションが起こる。
よくセドナなどのパワースポットについて聞かれる。
多いのは、どうしたらその場に行ってエネルギーをもらえるか、自然の”声”が聞こえるかとか・・・。
そういうとき、わたしが答えるのが、”もらおうとすると逆に得られず、感じにくくもなる”ということ。
自然の美しさやわたしたちに与えてくれている恩恵に感謝して、空になったとき何かが起こることが多い。
セドナでガイドをしている人に取材したとき、彼もこのように語っていた。
感謝の気持ちにあふれている人はハートがオープンだからエネルギーをより受け取りやすい。
セドナのヴォルテックスに来ればパワーをもらえる、不思議な体験ができると期待して
自分が期待するものが得られない場合は、怒ってゴミを捨てていく人もいる。
感謝の気持ちは、自然とつながるキーワード。
身近な自然も感謝の気持ちをもつと、コミュニケーションが起こる。
そして、その感謝の気持ちが自分と地球をつなぎ、自然への癒しになる。
セドナなどのパワースポットを訪れる準備のリストに、
感謝の気持ちをリストアップするのを忘れずに!
両手を合わせて拝み礼をする光景にめぐり合った。
住宅地の合間にぽつんとある菜園に沈む夕日。
東京でも、こうして心から自然に感謝する人がいることを知ってとてもうれしくなった。
アメリカ、ニューメキシコ州にある、ネイティヴ・アメリカンの居留区のひとつテスーケ村では、
祈りを捧げないと太陽が昇らないと信じて、
今でも毎朝祈りを捧げていると、地元の友人から聞いた。
こういう気持ちが地球にとっては癒しになり、自然とのコミュニケーションが起こる。
よくセドナなどのパワースポットについて聞かれる。
多いのは、どうしたらその場に行ってエネルギーをもらえるか、自然の”声”が聞こえるかとか・・・。
そういうとき、わたしが答えるのが、”もらおうとすると逆に得られず、感じにくくもなる”ということ。
自然の美しさやわたしたちに与えてくれている恩恵に感謝して、空になったとき何かが起こることが多い。
セドナでガイドをしている人に取材したとき、彼もこのように語っていた。
感謝の気持ちにあふれている人はハートがオープンだからエネルギーをより受け取りやすい。
セドナのヴォルテックスに来ればパワーをもらえる、不思議な体験ができると期待して
自分が期待するものが得られない場合は、怒ってゴミを捨てていく人もいる。
感謝の気持ちは、自然とつながるキーワード。
身近な自然も感謝の気持ちをもつと、コミュニケーションが起こる。
そして、その感謝の気持ちが自分と地球をつなぎ、自然への癒しになる。
セドナなどのパワースポットを訪れる準備のリストに、
感謝の気持ちをリストアップするのを忘れずに!
2008年10月12日
有機栽培農家の方々に感謝〜天波博文さんとお会いして
昨日、葉山の森山神社内の一色会館で行われた、天波博文さんのトーク&ミニコンサートと、天波さんの主催する、熊本県のどれみ村の有機野菜のランチに伺って、あらためて日々、大地と接して、地道な作業によってわたしたちと食べ物の媒体となってくださっている有機栽培農家の方々に感謝の気持ちでいっぱいになった。
大地の声を直接聞き、自然のやさしさや厳しさを体験で知り、地道な作業をしてくださっている有機農業の方々。農薬を使用すると、簡単に売れる農作物ができるけれど、水不足で農作物が枯れそうになっても農薬は使用しない。それによって農作物が枯れてしまって、利益はでなくても、土壌の汚染を守ることを選択する。目先のことにとらわれてしまうと、有機農業は続かない。彼らの俯瞰的視野と、大地や自然への深い愛と彼らの努力によって、こうして少しでも土壌の汚染が食い止められている。農家の方々の日々の努力に頭が下がる。彼らはこの大地の守り人でもあるのだ。
最近の汚染米の事件にしても、食の安全性が危ぶまれている中で、天波さんから有機農家の方々のお話を聞いて、こうして誠実に努力している人たちもいると知り、グッドニュースを聞いたような気持ちになった。
自然が先生で、いろいろなことを教えてもらったと朗らかに天波博文さんは語っていた。会館の外でコンサート中に子どもたちが大きな音をたてても、あれも鳥の声のひとつだと思ってカリカリしない方がいい。いろいろな個性があって、自然は成り立っていて、違うものとの共存が大切だと。こういう言葉は経験からでしか出てこない。天波さんの何気ない一言に、彼が自然と費やしてきた濃さを感じる。
イベント終了後に、天波さんと少しお話する機会があった。わたし自身も、セドナからたくさんのことを教えてもらって、自然が先生となりえることを経験で知り、またベジタリアンになって食が及ぼす影響の大切さを実感したことを天波さんにお伝えすると、うれしそうに笑って、こういう風にして人はつながるんですといってくださった。とてもおこがましいが、同じ先生を持つ者が出会えた気がしてとても励まされた。
天波博文さんは、熊本で有機農業を営み、音楽活動をしている。最近では、NHKのみんなの歌で「ぱっぱらぱぱ」という天波さんの作曲の歌が放映されている。丘蒸気というフォークグループでデビューし、芸能生活が合わず、20年前に熊本で有機農業と好きな音楽をする道を進む。この日、うす曇の小雨でスタートしたイベントは、天波さんの歌の途中で太陽の光が差し始め、正面に見える森山神社の鳥居も光でくっきりと姿をあらわした。天波さんは、昔は雨男だったけれども、農業を始めてからこういうことがよく起こるようになったそう。
また、この日は会場で、なかなか会えなかった友人にも再会することができた。彼女はわたしが来ることを知っていたらしいが、サプライズにしようと内緒にしていたらしい。わたしにとって、たくさんのギフトをいただいた葉山での素敵な午後のひとときとなった。
大地の声を直接聞き、自然のやさしさや厳しさを体験で知り、地道な作業をしてくださっている有機農業の方々。農薬を使用すると、簡単に売れる農作物ができるけれど、水不足で農作物が枯れそうになっても農薬は使用しない。それによって農作物が枯れてしまって、利益はでなくても、土壌の汚染を守ることを選択する。目先のことにとらわれてしまうと、有機農業は続かない。彼らの俯瞰的視野と、大地や自然への深い愛と彼らの努力によって、こうして少しでも土壌の汚染が食い止められている。農家の方々の日々の努力に頭が下がる。彼らはこの大地の守り人でもあるのだ。
最近の汚染米の事件にしても、食の安全性が危ぶまれている中で、天波さんから有機農家の方々のお話を聞いて、こうして誠実に努力している人たちもいると知り、グッドニュースを聞いたような気持ちになった。
自然が先生で、いろいろなことを教えてもらったと朗らかに天波博文さんは語っていた。会館の外でコンサート中に子どもたちが大きな音をたてても、あれも鳥の声のひとつだと思ってカリカリしない方がいい。いろいろな個性があって、自然は成り立っていて、違うものとの共存が大切だと。こういう言葉は経験からでしか出てこない。天波さんの何気ない一言に、彼が自然と費やしてきた濃さを感じる。
イベント終了後に、天波さんと少しお話する機会があった。わたし自身も、セドナからたくさんのことを教えてもらって、自然が先生となりえることを経験で知り、またベジタリアンになって食が及ぼす影響の大切さを実感したことを天波さんにお伝えすると、うれしそうに笑って、こういう風にして人はつながるんですといってくださった。とてもおこがましいが、同じ先生を持つ者が出会えた気がしてとても励まされた。
天波博文さんは、熊本で有機農業を営み、音楽活動をしている。最近では、NHKのみんなの歌で「ぱっぱらぱぱ」という天波さんの作曲の歌が放映されている。丘蒸気というフォークグループでデビューし、芸能生活が合わず、20年前に熊本で有機農業と好きな音楽をする道を進む。この日、うす曇の小雨でスタートしたイベントは、天波さんの歌の途中で太陽の光が差し始め、正面に見える森山神社の鳥居も光でくっきりと姿をあらわした。天波さんは、昔は雨男だったけれども、農業を始めてからこういうことがよく起こるようになったそう。
また、この日は会場で、なかなか会えなかった友人にも再会することができた。彼女はわたしが来ることを知っていたらしいが、サプライズにしようと内緒にしていたらしい。わたしにとって、たくさんのギフトをいただいた葉山での素敵な午後のひとときとなった。
2008年10月07日
身近に自然を感じるとき 金木犀の香り
10月になると金木犀の香りが辺り一面に立ち込める。
この季節になると、日本にいるときは芳香を求めてよく散歩に出かける。
この香りに気持ちはリラックスする。わたしのお気に入りの季節。
香りの源を意識すると、小さな無数の花が香りを放っているのを感じる。
無数の生命がこの地上には存在している。
そして、わたしたち人間もその一部。
近くの公園で、金木犀の香る中、土の地面に意識をもっていくと、
母なる地球とのつながりを感じる。
アスファルトで覆われていると感じにくいけれども、土が現れているところは、
東京でも地球の皮膚と直接触れ合う感触を得られる。
土は母なる地球の皮膚。東京も同じ地球の一部。
そのことを忘れずに思いを馳せれば、
東京でも母なる地球のかすかな息づかいを感じることができる。
ハートを開き、意識するだけで。
セドナのようなパワースポットでは確かに圧倒的な自然のエネルギーを感じるけれど、
東京にいても、芳香を楽しんだり、小さな公園の土の上を歩いたりして、
一日に一回でも自然を感じる時間があるとほっとする。
そして、自然を感じて、地球を愛おしく思うことが、環境破壊への癒しにもなる。
地球にわたしたちができることのひとつのこと。
そして、それがわたしたちにとっても癒しになる。
この季節になると、日本にいるときは芳香を求めてよく散歩に出かける。
この香りに気持ちはリラックスする。わたしのお気に入りの季節。
香りの源を意識すると、小さな無数の花が香りを放っているのを感じる。
無数の生命がこの地上には存在している。
そして、わたしたち人間もその一部。
近くの公園で、金木犀の香る中、土の地面に意識をもっていくと、
母なる地球とのつながりを感じる。
アスファルトで覆われていると感じにくいけれども、土が現れているところは、
東京でも地球の皮膚と直接触れ合う感触を得られる。
土は母なる地球の皮膚。東京も同じ地球の一部。
そのことを忘れずに思いを馳せれば、
東京でも母なる地球のかすかな息づかいを感じることができる。
ハートを開き、意識するだけで。
セドナのようなパワースポットでは確かに圧倒的な自然のエネルギーを感じるけれど、
東京にいても、芳香を楽しんだり、小さな公園の土の上を歩いたりして、
一日に一回でも自然を感じる時間があるとほっとする。
そして、自然を感じて、地球を愛おしく思うことが、環境破壊への癒しにもなる。
地球にわたしたちができることのひとつのこと。
そして、それがわたしたちにとっても癒しになる。
2008年10月05日
ほんとうの成功って? 『リトル・ミス・サンシャイン』
映画『リトル・ミス・サンシャイン』(2006年アメリカ製作)はわたしのお気に入りの映画のひとつ。
録画したミスコンテストの優勝者の様子を真似して、成功のイメージを思い描く少女オリーヴのアップで始まる『リトル・ミス・サンシャイン』。この世界は勝ち組か、負け組の2種類の人しかいない、成功への9つのステップで夢を成功させ、負けくせから脱出し勝ち組になってほしいと熱弁する彼女の父親の講義とこのシーンが重なる。
この映画のテーマは成功。けれども、ほんとうの成功、負けるとはどういうことかに、オリーヴが美少女コンテストに参加するために、フーヴァー家がアルバカーキーからてカルフォルニア州まで、ぼろぼろのマイクロバスで旅をするプロセスで一家全員がそれぞれ気づくというロード・ムービー。たった2日間の旅が、一家全員の今後の人生にとって大きな影響を及ぼすことになる。
<以下、ストーリの詳細、内容、結末に関する内容が含まれていますので、映画を観る前の方はご注意ください>
「結果はどうであれ、精一杯やった」と、成功への9つのステップの出版のプロジェクトが失敗に終わって落ち込むオリーヴの父リチャード(=グレッグ・キニア)は、自分の父親に励まされる。そして、オリーヴに「出場するからには勝たなければならない」といっていたリチャードは、オリーヴの美少女コンテストをとおして変わって行く。コンテストの途中に、リチャードはオリーヴが勝てそうにもないことを悟るとオリーヴが傷つかないように、コンテストに出すのをやめさせようとする。しかし、オリーヴは自分でそのことに気づきながらも、勇気を振り絞って舞台の上にあがる。そして、ステージ上で罵声を浴びても、家族の助けを得て、おじいちゃんから教わった場違いなダンスをどうどうと披露する。前日、負けることを恐れていたオリーヴに、おじいちゃんは「負けることが怖くて挑戦しないことを負け犬という」といって励まされ、オリーヴはおじいちゃんの言葉の通りに、どのような状況であっても自分のステージを一生懸命やり遂げたのだ。そのオリーヴの姿を見てリチャードもなんとかダンスを終えることができるようにと、協力する。このシーンがとてもほほえましい。オリーヴの姿には励まされる。オリーヴ役のアビゲイル・ブレスリンは第79回アカデミー賞の主演女優賞に史上最年少のノミネートとなった。
スピリチュアルな考え方だと、物事の結果にとらわれずに、行為そのものを純粋に、真剣に行うことに意味があり、それが重要となる。これはインドの聖典にも伝えられているサレンダー(=ゆだねる)のこと。また、結果だけを追い求めると、今という瞬間に意識がなくただの通過点になってしまい、ほんとうの幸せを得ることもできない。幸せとは条件が整って初めて幸せになるのではなく、意識が”今”という瞬間にあることで得られるからだ。そして、自分が思い描いていた理想の結果も、その結果ばかりに気をとられ、現在のプロセスがおろそかになってしまうと、結果も思うようにいかなくなる。
この一家の一員に、アメリカでフランスの大作家プルーストの研究者の第一人者、フランク(=スティーヴ・カレル)がいる。彼はオリーヴの伯父。いろいろとショックが重なって自殺を図るが助かる。世間的にはすべて失敗という人生。彼はリチャードはじめ、皆から負け犬とみなされる。しかし、彼はほんとうの意味で負け組みなのだろうか。9ヶ月間、沈黙の誓を立てて、飛行機学校の入学を目指していたオリーヴの兄は、旅の道中で自分が色覚異常だと知り、飛行学校への入学はできないことを知り、ショックを受けるドゥエーンに、フランクは語る。「20年間で一作執筆したプルーストは、職に就かず、報われない恋に生きたゲイだった。彼は人生を振り返って、苦しんだ日々こそ、自分を形成した最良の日々だったと悟った」と。フランクも、ドィエーンも、そしてリチャードもこのプロセスにいるのだろう。
サンダンス映画祭で高い評価を得て、興行成績も成功する。そして、2007年度のアカデミー賞の作品賞、主演女優賞にノミネートされ、脚本賞と助演男優賞(おじいちゃん役のアラン・アーキン)を受賞。地味な作品でありながらも、世間が思う負け組みのことを描いて、映画自体としては勝ち組となったのかも。オリーヴの兄役のポール・ダノの演技もいい。
元気がなくなったときに観ると励まされる映画です。
録画したミスコンテストの優勝者の様子を真似して、成功のイメージを思い描く少女オリーヴのアップで始まる『リトル・ミス・サンシャイン』。この世界は勝ち組か、負け組の2種類の人しかいない、成功への9つのステップで夢を成功させ、負けくせから脱出し勝ち組になってほしいと熱弁する彼女の父親の講義とこのシーンが重なる。
この映画のテーマは成功。けれども、ほんとうの成功、負けるとはどういうことかに、オリーヴが美少女コンテストに参加するために、フーヴァー家がアルバカーキーからてカルフォルニア州まで、ぼろぼろのマイクロバスで旅をするプロセスで一家全員がそれぞれ気づくというロード・ムービー。たった2日間の旅が、一家全員の今後の人生にとって大きな影響を及ぼすことになる。
<以下、ストーリの詳細、内容、結末に関する内容が含まれていますので、映画を観る前の方はご注意ください>
「結果はどうであれ、精一杯やった」と、成功への9つのステップの出版のプロジェクトが失敗に終わって落ち込むオリーヴの父リチャード(=グレッグ・キニア)は、自分の父親に励まされる。そして、オリーヴに「出場するからには勝たなければならない」といっていたリチャードは、オリーヴの美少女コンテストをとおして変わって行く。コンテストの途中に、リチャードはオリーヴが勝てそうにもないことを悟るとオリーヴが傷つかないように、コンテストに出すのをやめさせようとする。しかし、オリーヴは自分でそのことに気づきながらも、勇気を振り絞って舞台の上にあがる。そして、ステージ上で罵声を浴びても、家族の助けを得て、おじいちゃんから教わった場違いなダンスをどうどうと披露する。前日、負けることを恐れていたオリーヴに、おじいちゃんは「負けることが怖くて挑戦しないことを負け犬という」といって励まされ、オリーヴはおじいちゃんの言葉の通りに、どのような状況であっても自分のステージを一生懸命やり遂げたのだ。そのオリーヴの姿を見てリチャードもなんとかダンスを終えることができるようにと、協力する。このシーンがとてもほほえましい。オリーヴの姿には励まされる。オリーヴ役のアビゲイル・ブレスリンは第79回アカデミー賞の主演女優賞に史上最年少のノミネートとなった。
スピリチュアルな考え方だと、物事の結果にとらわれずに、行為そのものを純粋に、真剣に行うことに意味があり、それが重要となる。これはインドの聖典にも伝えられているサレンダー(=ゆだねる)のこと。また、結果だけを追い求めると、今という瞬間に意識がなくただの通過点になってしまい、ほんとうの幸せを得ることもできない。幸せとは条件が整って初めて幸せになるのではなく、意識が”今”という瞬間にあることで得られるからだ。そして、自分が思い描いていた理想の結果も、その結果ばかりに気をとられ、現在のプロセスがおろそかになってしまうと、結果も思うようにいかなくなる。
この一家の一員に、アメリカでフランスの大作家プルーストの研究者の第一人者、フランク(=スティーヴ・カレル)がいる。彼はオリーヴの伯父。いろいろとショックが重なって自殺を図るが助かる。世間的にはすべて失敗という人生。彼はリチャードはじめ、皆から負け犬とみなされる。しかし、彼はほんとうの意味で負け組みなのだろうか。9ヶ月間、沈黙の誓を立てて、飛行機学校の入学を目指していたオリーヴの兄は、旅の道中で自分が色覚異常だと知り、飛行学校への入学はできないことを知り、ショックを受けるドゥエーンに、フランクは語る。「20年間で一作執筆したプルーストは、職に就かず、報われない恋に生きたゲイだった。彼は人生を振り返って、苦しんだ日々こそ、自分を形成した最良の日々だったと悟った」と。フランクも、ドィエーンも、そしてリチャードもこのプロセスにいるのだろう。
サンダンス映画祭で高い評価を得て、興行成績も成功する。そして、2007年度のアカデミー賞の作品賞、主演女優賞にノミネートされ、脚本賞と助演男優賞(おじいちゃん役のアラン・アーキン)を受賞。地味な作品でありながらも、世間が思う負け組みのことを描いて、映画自体としては勝ち組となったのかも。オリーヴの兄役のポール・ダノの演技もいい。
元気がなくなったときに観ると励まされる映画です。