2011年09月28日
実在の状態からの言葉
前回5月のレナードのワークショップ同様に、今回も魂のレベルで刻まれたことがたくさんありました。参加してくださった皆様から、実在というのがどういうことなのか掴めたというご感想をいただき、わたし自身もとても嬉しく思っております。
わたしたちは体験を通してでしか学ぶことができません。
究極的に言えば、そのためにこの世界は二元性(ドゥアリティー)となっています。
レナードはワークショップでは、実在の状態をさらに深めます。
彼の目の前に実際に存在しているもの、つまり、わたしたちと彼は一体となっていて、そのときに語りかけてくれる言葉にはさらに実在のパワーが増して、たとえ、レナードが実際にあの場で語ったことを忘れてしまったとしても、わたしたちの全細胞や魂にしっかり刻まれていることでしょう。
ワークショップの最中に、レナードがわたしが座ってから質問への答えを話し始めることに、お気づきになられた方もいらしゃると思います。レナードは深く実在に在り、そこから言葉を発しているために、彼と共に実際に存在しているものも実在していることが大切です。つまり、花や椅子は実在しているのですが、人の場合はマインドがどこかにいってしまうことがあります。彼を囲むものすべてが実在の状態だと、言葉はさらに実在のパワーをもって流れ出るのでしょう。
以前、ある僧侶の方の講演会に出席したとき、その方のお話しが事務的なことで中断されました。その方もレナードと同じように準備をして話しているわけではないので、その話の流れが遮られたという場面に出くわしたことがあります。レナードもその場の状態を掴みながら語るので、わたしとしてはその流れを遮らないことを一番気をつけていました。しかし、参加者の皆様が快適であることを確認することもわたしの大切な役割なので、途中、後ろに座っている方にティッシュをお届けたいというジレンマにも陥ったのです。たとえ静かな内面の葛藤であってもレナードはそれを見逃さず、その都度、リラックスして座るようにというチェックが入りました。
レナードを観察していて、わたしが学んだことは、感情が流れているときは、ティッシュがあるかどうかも気にせずに涙を流れさせることが、完全に感情を出し尽くすことにつながるということです。たとえば、ティッシュがないと思ったその瞬間に、思考が介在してきます。そうすると、感情の流れをストップさせることにもなりかねません。非常に微細なことですが、考えることが普通になっているわたしたちにとって、思考はごく自然に浮上してくるので、わたしたちは気づかないうちに実在から離れてしまうのです。
ただ、自分の望みを穏やかに伝えることは大切です。ですから、次回のワークショップでも、どうかご遠慮はなさらないで、手をあげてご希望をお伝えください。
思考が介在すると物事が複雑になってしまうということを、体験を通してわたしも学ぶことができました。
今日のレナードのフェイスブックでの一言です。
「わたしが唯一信頼しているのは沈黙です。そして、わたしは沈黙を完全に信頼しています」 レナード・ジェイコブソン
わたしたちは体験を通してでしか学ぶことができません。
究極的に言えば、そのためにこの世界は二元性(ドゥアリティー)となっています。
レナードはワークショップでは、実在の状態をさらに深めます。
彼の目の前に実際に存在しているもの、つまり、わたしたちと彼は一体となっていて、そのときに語りかけてくれる言葉にはさらに実在のパワーが増して、たとえ、レナードが実際にあの場で語ったことを忘れてしまったとしても、わたしたちの全細胞や魂にしっかり刻まれていることでしょう。
ワークショップの最中に、レナードがわたしが座ってから質問への答えを話し始めることに、お気づきになられた方もいらしゃると思います。レナードは深く実在に在り、そこから言葉を発しているために、彼と共に実際に存在しているものも実在していることが大切です。つまり、花や椅子は実在しているのですが、人の場合はマインドがどこかにいってしまうことがあります。彼を囲むものすべてが実在の状態だと、言葉はさらに実在のパワーをもって流れ出るのでしょう。
以前、ある僧侶の方の講演会に出席したとき、その方のお話しが事務的なことで中断されました。その方もレナードと同じように準備をして話しているわけではないので、その話の流れが遮られたという場面に出くわしたことがあります。レナードもその場の状態を掴みながら語るので、わたしとしてはその流れを遮らないことを一番気をつけていました。しかし、参加者の皆様が快適であることを確認することもわたしの大切な役割なので、途中、後ろに座っている方にティッシュをお届けたいというジレンマにも陥ったのです。たとえ静かな内面の葛藤であってもレナードはそれを見逃さず、その都度、リラックスして座るようにというチェックが入りました。
レナードを観察していて、わたしが学んだことは、感情が流れているときは、ティッシュがあるかどうかも気にせずに涙を流れさせることが、完全に感情を出し尽くすことにつながるということです。たとえば、ティッシュがないと思ったその瞬間に、思考が介在してきます。そうすると、感情の流れをストップさせることにもなりかねません。非常に微細なことですが、考えることが普通になっているわたしたちにとって、思考はごく自然に浮上してくるので、わたしたちは気づかないうちに実在から離れてしまうのです。
ただ、自分の望みを穏やかに伝えることは大切です。ですから、次回のワークショップでも、どうかご遠慮はなさらないで、手をあげてご希望をお伝えください。
思考が介在すると物事が複雑になってしまうということを、体験を通してわたしも学ぶことができました。
今日のレナードのフェイスブックでの一言です。
「わたしが唯一信頼しているのは沈黙です。そして、わたしは沈黙を完全に信頼しています」 レナード・ジェイコブソン
Posted by 今西礼子 at 13:20│Comments(2)
この記事へのコメント
Posted by てつやっこ at 2011年09月28日 20:24
てつやっこさん、こんばんわ。コメントありがとうございます。また、ワークショップにご参加いただきましてありがとうございました。人生の転機のような2日間とは嬉しい限りです。
わたしたちは考えることがほんとうに当たり前になってしまって、思考が入り込んできたことにも気づかないときがあることに、レナード、そして、ワークショップにご参加された皆さんと共に時間を共有することで、あらためて実感しました。
レナードが強調していたように、どうか至福の体験にしがみつかないでください。彼は本の中でも言っていましたが、わたしたちは何も所有することはできないのです。目覚めの体験でさえも、わたしたちは所有できないのです。レナードがワークショップの中で語っていた、ある生徒とのやり取りは印象的でしたね。至福の体験はとても気持ちよくて、どうしてもまた、あの体験をしたいと思ってしまいがちですが、しがみつくともうその時点でわたしたちは過去にいるので、手放すしかないのです。手放さないのはマインドやエゴの性質です。それがマインドやエゴがわたしたちの実在を邪魔するトリックのひとつです。
応援してくださってありがとうございます。
目覚めの道を歩んで行く仲間が増えて、嬉しいく思います。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
わたしたちは考えることがほんとうに当たり前になってしまって、思考が入り込んできたことにも気づかないときがあることに、レナード、そして、ワークショップにご参加された皆さんと共に時間を共有することで、あらためて実感しました。
レナードが強調していたように、どうか至福の体験にしがみつかないでください。彼は本の中でも言っていましたが、わたしたちは何も所有することはできないのです。目覚めの体験でさえも、わたしたちは所有できないのです。レナードがワークショップの中で語っていた、ある生徒とのやり取りは印象的でしたね。至福の体験はとても気持ちよくて、どうしてもまた、あの体験をしたいと思ってしまいがちですが、しがみつくともうその時点でわたしたちは過去にいるので、手放すしかないのです。手放さないのはマインドやエゴの性質です。それがマインドやエゴがわたしたちの実在を邪魔するトリックのひとつです。
応援してくださってありがとうございます。
目覚めの道を歩んで行く仲間が増えて、嬉しいく思います。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
Posted by 今西礼子
at 2011年09月28日 20:47

※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
レナードのワークショップは、私にとって『人生の転機』にもなるような素晴らしい2日間でした。
レナードと共に過ごすときは、時間が全く存在しないかのように、気が付いたらワークショップが終わっていた…という感じでした。
実在にいることの、手段や手法に囚われてしまうと、実在できない。
実在するには、ただ「ある」だけという、非常にシンプルな事でした。
ただ、あの瞬間があまりにも強烈だったので、
あの空間を離れてから、実在しにくくなっているようにも感じています。
でも、「あの体験」を探し始めると、また過去に行くことになるので
これも自然のまま、あるがまま、にしています。
レナード、今西さんをはじめ、このワークショップに係ってくださった皆さんに心から感謝いたします。
これからも、ブログを楽しみにしています。