2011年09月17日
日本の人は目覚める準備が出来ている―レナード・ジェイコブソン
レナードの地元サンタ・クルーズで、数日前パブリック・トークがあり、レナードはこのように語っていました。
「わたしの日本の人たちにもうすぐ再び会えることを、とても楽しみにしている。
日本の人たちはとても素晴らしい人たちだ、そして、目覚める準備が出来ている。
今年の5月の来日時、わたし自身、心から楽しんだ。
ワークショップでは皆、深く実在に在って、
わたしが思っていた以上に感情にとてもオープンでワークに一生懸命取り組んでいた」
実際に、レナードは今年5月ワークショップの初日、参加者の方々が目覚めに対して真剣で、感情や過去を手放すことにとてもオープンだったので感動していました。レナードは日本人の方がシャイで、感情を内に溜め込む傾向がある国民性を知っていたためになお更だったようです。始まる前は、わたし自身もレナードがどのようなスタイルで、日本でワークショップを進めていくのかと思っていましたが、アメリカでのワークショップとまったく変わることなく、参加された方々が、この瞬間に在り、率先して、ご自身と向き合って、無防備になってリリースされていく光景にわたしも感動しました。
世界中を回り、様々な国で多くの人たちに接しているレナードは、今まで様々なエゴと出会ってきたと言い、ワークショップの後で、はじめて日本人のサムライのエゴに出会ったと嬉しそうに語っていました。そして、ふとシリアスになって、「自分がこの国(日本)でやることはまだまだたくさんある」とも、つぶやいて、使命のようなものを感じていたレナードの様子を、今でも覚えています。
レナードはもうすぐ来日します。レナードに会えることはもちろんのことですが、彼が身をもって教えてくれる「今、ここ」に在ることで、どのような感動や変容が起こるのか、今からわたし自身とても楽しみです。
「わたしの日本の人たちにもうすぐ再び会えることを、とても楽しみにしている。
日本の人たちはとても素晴らしい人たちだ、そして、目覚める準備が出来ている。
今年の5月の来日時、わたし自身、心から楽しんだ。
ワークショップでは皆、深く実在に在って、
わたしが思っていた以上に感情にとてもオープンでワークに一生懸命取り組んでいた」
実際に、レナードは今年5月ワークショップの初日、参加者の方々が目覚めに対して真剣で、感情や過去を手放すことにとてもオープンだったので感動していました。レナードは日本人の方がシャイで、感情を内に溜め込む傾向がある国民性を知っていたためになお更だったようです。始まる前は、わたし自身もレナードがどのようなスタイルで、日本でワークショップを進めていくのかと思っていましたが、アメリカでのワークショップとまったく変わることなく、参加された方々が、この瞬間に在り、率先して、ご自身と向き合って、無防備になってリリースされていく光景にわたしも感動しました。
世界中を回り、様々な国で多くの人たちに接しているレナードは、今まで様々なエゴと出会ってきたと言い、ワークショップの後で、はじめて日本人のサムライのエゴに出会ったと嬉しそうに語っていました。そして、ふとシリアスになって、「自分がこの国(日本)でやることはまだまだたくさんある」とも、つぶやいて、使命のようなものを感じていたレナードの様子を、今でも覚えています。
レナードはもうすぐ来日します。レナードに会えることはもちろんのことですが、彼が身をもって教えてくれる「今、ここ」に在ることで、どのような感動や変容が起こるのか、今からわたし自身とても楽しみです。
Posted by 今西礼子 at 09:25│Comments(2)
│レナード・ジェイコブソン
この記事へのコメント
Posted by エンジェル・ダスト at 2011年09月17日 14:39
エンジェル・ダストさん、コメントありがとうございます。
一人ひとりが目覚めると、人類全体に影響を及ぼします。
世の中の状況をみると、絶望的になりがちですが、これはレナードだけでなく、目覚めたマスター方が口々に語っていることです。
他者を変えるよりも、自分が変わることで変化を生み出すほうがより簡単と言われていることと同じです。コツコツと実在のクオリティーを高めていくことに集中することが、自分自身や周囲、そして、社会全体にも恩恵をもたらすのです。
一人ひとりが目覚めると、人類全体に影響を及ぼします。
世の中の状況をみると、絶望的になりがちですが、これはレナードだけでなく、目覚めたマスター方が口々に語っていることです。
他者を変えるよりも、自分が変わることで変化を生み出すほうがより簡単と言われていることと同じです。コツコツと実在のクオリティーを高めていくことに集中することが、自分自身や周囲、そして、社会全体にも恩恵をもたらすのです。
Posted by 今西礼子
at 2011年09月21日 09:56

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人に心がある理由が利己性を超えた愛だと思います
スーザン・ブラックモアの『意識』という本では
内なる心の劇場である「意識」が何故あるのかわからないと書いてありました
私達は日常生活とかでの行動は脳が自動的に情報を処理していて
生きることの必要な事は無意識に動作できているそうです
脳の中に私という自我などなくても脳が自動的に情報を処理して行動できるので
内なる心の劇場である「意識」がある理由が解らないそうです
例えば僕がスーパーまで歩いて出かけることを考えると
歩いてる時はどう歩くかなんて「意識」することなく普通に歩いています
僕が歩く時にどう膝を曲げるかとか歩幅とかつま先の向きとか
歩くことに必要な処理は全て脳が自動的に行っていて無意識で歩けています
歩くことに必要な身体操作のほとんどは僕は全く意識しなくてもスーパーまで歩けます
スーザンブラックモアはただ生きることだけなら
上手に生き延びるだけなら
「内なる心の劇場である意識」がある必然性はなさそうだと言っています
人が生きる上での損得で合理的に行動するだけならただ脳機能が優秀であれば良いだけで
合理的に冷徹な損得の判断をするだけなら内なる心の劇場である「意識」がなくとも
脳の情報処理機能が優秀でありさえすれば良いらしいです
ただ優秀に生きるだけなら人に内なる心の劇場である「意識」が存在する必然性はないようです
今にも第三次世界大戦が勃発しそうな地球世界で”試されている”のが
「人の心の存在」の意味だと思います
互いの利己的な損得の価値観を超えた何か
人が過去のしがらみで自分を不快にさせた何かや他者を許すこと
人が分かり合うこと 分かち合うこと
それらが今試されている 内なる心の劇場である『意識』人の心の存在意義だと思います
ガイアの夜明け
「いつの日か分かり合える『新しい朝』 は人類に訪れるのでしょうか?