2022年11月10日
"どのようにわたしたちは宇宙を知覚しているのか"
皆さま、こんにちは。秋も深まってきましたがいかがお過ごしですか。
前回のオンラインで、ティムからわたしたちが宇宙や自分自身をどのように知覚するのかに
関与している"サイセンシング"のお話がありました。
参加者の方もとても画期的で素晴らしいと話されていたように
知覚の性質について理解する上でサイセンシングはとても大切だと個人的にも感じています。
サイセンシングとは、わたしたちは常に
わたしたちのサイキ(*日本語では意識や魂や精神とも言われる内面の領域)と
体の感覚器官で宇宙を知覚しているということです。
これをティムはサイセンシングと呼んでいます。
サイキ/意識や魂にはすでに潜在意識と言われている領域やコンセプトが含まれています。
ですから、私たちのものの見方や感じ方というのはどうしても個人的になるので
このサイセンシングを理解すると、
根本的な熟考(ファンダメンタル・リフレクション)が大切だということも納得がいきました。
つまり、同じものを観ていても、決して同じものを観ているとは断定できないということです。
サイキの領域が進化の最先端であり、このサイキの進化を進めていくことが、
個人の魂のみならず、宇宙全体や人類全体の進化に貢献するということでもあるのです。
以下、このサイセンシングについてティムと交わしたやりとりを
ご参考までに分かち合わせていただきます。
(*)
12歳で目覚めの体験をしたことも影響しているのか、
ティムはミュージシャンだった若い時は神への溢れるばかりの想いを歌った楽曲ばかり制作していたほど、
神へのデボーション(想い)がとても強く、でもその一方でフィロソフィーにも取り組んでいたので
あるインタビューでは、通常ではどちらかに偏りがちなのにティムはとてもバランスがいいと言われていました。
そしてティムはここ数年、最先端の量子力学のアイディアも取り入れています。
そのため、量子物理的な発想で言葉が表現されているところもあります。
ちなみに、アメリカで一般の皆さんにスピリチュアリティーが広まったきっかけは
量子物理や脳科学などの科学的な視点を取り入れたスピリチュアルな映画がきっかけでした。
宇宙は情報からできているというティムのアイディアは、
ティムのインスピレーションと熟考からでしたが
最近の量子物理学の研究結果と一致したとティムは話していました。
アンマ(=マーター・アムリターナンダマイー)も2007年のパブリックのスピーチで
「宗教/霊性と科学は本当は手を携えて進まなくてはなりません。
宗教/霊性なしの科学、科学なしの宗教/霊性はどちらも不完全です。」とお話しされていますが、
ティムはこのことにチャレンジしています。
********
Reiko:
わたしはサイセンスと直感の違いについて考えてきました。
その二つは同じものですか?
Tim: わたしはそれらを違った意味で用いています。
わたしたちは常にサイセンシングを行っています 。わたしたちはわたしたちの感覚とサイキ(*日本語では意識や魂や精神とも言われる内面の領域)で宇宙を知覚して理解しようとしています。直観とは、私たちがサイキの最も進化した側面を用いるときのことです。大抵の場合、わたしたちは直感が伝えている理由がわからないほど、直感はサイキの最も進化している側面なのです。しかし、直感は絶対確実とは言えないでので、わたしたちはファンダメンタル・リフレクション/根本的な熟考をする必要があります 。これがわたしたちができる最善のことだと思います。
Reiko:そうですか!では、根本的な熟考はとても重要ですね!
ところでこれが私の想定です...
わたしたちの波のようなマインドが静まり返って波のない海になっているときは、つまり、マインドがモンキー・マインドとなってどこかにさ迷っていないときは(モンキー・マインド:猿が木の枝から枝へと飛んでいくようにとりとめもなく考えている状態)、マインドがないノー・マインド(No-Mind)の状態のように思えます。しかし、波が静まりかえっても海は消えないように、マインドは消えることはなく、静まりかえったマインドはツールとなって私たちは魂とつながるとわたしは考えています。しかし、一般的にはノーマインドの時に神を知るという考え方が広まっていて、神を知る上でマインドは重要ではなく、むしろ妨げになると考えられているのでマインドは敵視されているように思います。これがスピリチュアルな人々の間でマインドに対しての誤解が生まれるのではないかと思います。
わたしたちはマインドで神を知ることはできませんが、神を知るにはそのツールとなるマインドが静まりかえる必要があるとわたしは考えています。マインドは無形なので静まりかえったときに、サイキ、あるいは魂の一部分となるのでしょうか?このようにマインドとサイキを区別するのは難しいので、あなたはその厳密な違いを言及していないのでしょうか。これが私が混乱しているところです... 静かなマインドと、サイキ/魂の違いがわかりません。
Tim: その想定はさておき、このように考えてみてはどうでしょう。
あなたは今、非物質的な現実を体験しています ・・・ それをサイキと呼びましょう。
サイキの中で、あなたは自分自身に話しかけるのを想像することができます・・・ これを思考と呼びましょう。考えることに意識の注意を向けると、あなたは他のことに完全な注意を向けることはできなくなります。思考以外の他のことに注意を向けたい場合は、しばらくの間、思考に注意を向けないようにする必要があります。
ですから、神を意識するには、思考も含めて他のことに注意を向けるのではなく、神に注意を向ける必要があるのです。
Reiko: ありがとう、ティム。それでは、反応と感情はどうですか。
神を知るためにはノーマインドになる必要があるから、なるべく考えずにノーマインドになろうと取り組むと、人は思考しないようになります。しかし、感情をコントロールするには理性を用いる必要があるので、考えることを手放すと人は往々にして感情的になって、簡単に反応してしまいがちです。また感情を抑圧すると病気になるというスピリチュアルな教えを聞くと、幸せとは逆の感情がもたらすホルモンは不快感を伴うので感情を抑圧すると確かに体によくないように思えて感情をコントロールできず、そのまま反応するようにもなりがちのように思います。また感情はその人に常に正しいことを伝えてくれているとか、感情を直感とみなしている人もいます。
このように感情の扱い方はとても難しいのであなたに尋ねたいことがたくさんありますが、ここでまず伺いたいことは、脳は簡単に騙されて誤認識し、その誤認識から感情を生み出すホルモンを分泌することもできるので、感情に対してもファンダメンタル・リフレクション/根本的な熟考が必要ではないかとわたしは考えています。しかし直観は理になかっていないこともあるので、根本的な熟考を直感に対して行うのは難しいと感じています。
Tim: わたしたちがどのように現実を知覚/認識するのかは、わたしたちの感覚器官とアイディアに依存していますーー これをわたしはサイセンス(私たちのサイキ/魂と感覚器官で宇宙を感知、知覚するということ)と呼んでいます。ですから、サイセンシングとは、 心と体を持つ、つまり心理生物学的システムをもったわたしたちが、サイキと感覚器官を駆使して察知して理解するという情報処理することで、常に宇宙を認識しているということです。
わたしたちは大抵は無意識のうちに、常にアイディアで現実を察知して認識しています。しかし思考することで、わたしたちが人生(あるいは人生で起きていること)をどのように理解しているかを問いかけることができます。こうしてわたしたちは、わたしたちにとって可能な範囲で、最善の理解を見出すことができるのです。
感情とは、私たちが知覚/認識したものにどのように反応するかということです。最も原始的な形の感情は”戦うか逃げるか”というような行動の準備となるものです。
ところがある特定の記憶や、その記憶がもたらす感情を抑圧している場合は、自分自身で過去のことを適切に処理することができないようにさせているのです。つまりこれは、前に進むために役立つ過去の出来事から何も学ぶことができない状態だということです。それはまた、何かがわたしたちの意識上に浮上するのを阻止しようとして無意識的にエネルギーを使って抑圧しているため、わたしたちの全般的な情報処理の機能が十分に働いていないという可能性もあります。これは心理生物学的システムの一つ であるため、身体的影響だけでなく心理的影響もある可能性があります。それにはいくつかのエビデンスもあるようです。
直感はとても役立ちますが、ただ単に無意識的な想定の可能性もあるので、ファンダメンタル・リフレクション/根本的な熟考で問いかける必要があります。
これらのことはとても深いのですが、明確にするために端的にしてみました。
Reiko:それでは、わたしたちは常にサイセンシングを行っているということのですね?
Tim: はい、 意識的にも無意識的にもです。
Reiko:それではサイセンシングがわたしたちの意識の基盤となるものだと考えていいですか?
Tim:はい 、そうです。 サイセンシングはわたしたちが宇宙における情報を察知して理解する方法です。
Reiko:ということは、わたしたちが神だけしか意識していないと感じているとき、つまりノーマインドのように感じていても、その背後にはサイセンシングが働いているということですね?
Tim: はい、まさにその通りです。 宇宙の情報を察知して理解しなければわたしたちは何も 知覚/認識することができません。つまり、神でさえもです。
Reiko:つまりノーマインドのように感じてはいても、それでもその背後ではサイセンシングが働いているーーつまり、わたしたちはサイセンスの働きには気づかずにノーマインドのように感じているだけなんですね!
Tim: はい、そうです。ノーマインドとはただ単にわたしたちが思考に意識を向けていないということですーー思考とは自分自身と話すことを想像するということです。
Reiko:そうするとサイセンスとは、あるスピリチュアルな伝統で言われている”純粋意識”とか”純粋知性”みたいなものに思えます。
Tim: いいえ、まったく違うものです。サイセンスとは、わたしたちの心理生物学的システムが宇宙とわたしたちとの関係を情報処理して理解するために行うことですーー これはとても複雑で、 まったく純粋/単純ではありません。サイセンシングには、神経系の感知システムと観念的なネットワークという複雑さも含まれるので、わたしたちが知る限り、宇宙全体で最も複雑なものだと言えるでしょう。
**********
<ティム・フリーク オンラインのご案内>
日時:2022年11月10日(木)19:30〜
*毎月第二木曜開催中。次回は12月8日(木)開催です。
お申し込みは随時行っていますが、テーマは直前のご案内になります。
公式サイトのお申し込みフォームからお申し込みください。
本日午後6時までお申し込みをお受けします。
受講料には日本語への通訳や後日お送りする録画や資料も含まれます。
録画でのご参加もお受けしますが、初回ご参加の方はリアルタイムでご参加ください。
詳細などはティム・フリーク日本語版公式サイトをご覧ください。
https://timfreke.jp/
前回のオンラインで、ティムからわたしたちが宇宙や自分自身をどのように知覚するのかに
関与している"サイセンシング"のお話がありました。
参加者の方もとても画期的で素晴らしいと話されていたように
知覚の性質について理解する上でサイセンシングはとても大切だと個人的にも感じています。
サイセンシングとは、わたしたちは常に
わたしたちのサイキ(*日本語では意識や魂や精神とも言われる内面の領域)と
体の感覚器官で宇宙を知覚しているということです。
これをティムはサイセンシングと呼んでいます。
サイキ/意識や魂にはすでに潜在意識と言われている領域やコンセプトが含まれています。
ですから、私たちのものの見方や感じ方というのはどうしても個人的になるので
このサイセンシングを理解すると、
根本的な熟考(ファンダメンタル・リフレクション)が大切だということも納得がいきました。
つまり、同じものを観ていても、決して同じものを観ているとは断定できないということです。
サイキの領域が進化の最先端であり、このサイキの進化を進めていくことが、
個人の魂のみならず、宇宙全体や人類全体の進化に貢献するということでもあるのです。
以下、このサイセンシングについてティムと交わしたやりとりを
ご参考までに分かち合わせていただきます。
(*)
12歳で目覚めの体験をしたことも影響しているのか、
ティムはミュージシャンだった若い時は神への溢れるばかりの想いを歌った楽曲ばかり制作していたほど、
神へのデボーション(想い)がとても強く、でもその一方でフィロソフィーにも取り組んでいたので
あるインタビューでは、通常ではどちらかに偏りがちなのにティムはとてもバランスがいいと言われていました。
そしてティムはここ数年、最先端の量子力学のアイディアも取り入れています。
そのため、量子物理的な発想で言葉が表現されているところもあります。
ちなみに、アメリカで一般の皆さんにスピリチュアリティーが広まったきっかけは
量子物理や脳科学などの科学的な視点を取り入れたスピリチュアルな映画がきっかけでした。
宇宙は情報からできているというティムのアイディアは、
ティムのインスピレーションと熟考からでしたが
最近の量子物理学の研究結果と一致したとティムは話していました。
アンマ(=マーター・アムリターナンダマイー)も2007年のパブリックのスピーチで
「宗教/霊性と科学は本当は手を携えて進まなくてはなりません。
宗教/霊性なしの科学、科学なしの宗教/霊性はどちらも不完全です。」とお話しされていますが、
ティムはこのことにチャレンジしています。
********
Reiko:
わたしはサイセンスと直感の違いについて考えてきました。
その二つは同じものですか?
Tim: わたしはそれらを違った意味で用いています。
わたしたちは常にサイセンシングを行っています 。わたしたちはわたしたちの感覚とサイキ(*日本語では意識や魂や精神とも言われる内面の領域)で宇宙を知覚して理解しようとしています。直観とは、私たちがサイキの最も進化した側面を用いるときのことです。大抵の場合、わたしたちは直感が伝えている理由がわからないほど、直感はサイキの最も進化している側面なのです。しかし、直感は絶対確実とは言えないでので、わたしたちはファンダメンタル・リフレクション/根本的な熟考をする必要があります 。これがわたしたちができる最善のことだと思います。
Reiko:そうですか!では、根本的な熟考はとても重要ですね!
ところでこれが私の想定です...
わたしたちの波のようなマインドが静まり返って波のない海になっているときは、つまり、マインドがモンキー・マインドとなってどこかにさ迷っていないときは(モンキー・マインド:猿が木の枝から枝へと飛んでいくようにとりとめもなく考えている状態)、マインドがないノー・マインド(No-Mind)の状態のように思えます。しかし、波が静まりかえっても海は消えないように、マインドは消えることはなく、静まりかえったマインドはツールとなって私たちは魂とつながるとわたしは考えています。しかし、一般的にはノーマインドの時に神を知るという考え方が広まっていて、神を知る上でマインドは重要ではなく、むしろ妨げになると考えられているのでマインドは敵視されているように思います。これがスピリチュアルな人々の間でマインドに対しての誤解が生まれるのではないかと思います。
わたしたちはマインドで神を知ることはできませんが、神を知るにはそのツールとなるマインドが静まりかえる必要があるとわたしは考えています。マインドは無形なので静まりかえったときに、サイキ、あるいは魂の一部分となるのでしょうか?このようにマインドとサイキを区別するのは難しいので、あなたはその厳密な違いを言及していないのでしょうか。これが私が混乱しているところです... 静かなマインドと、サイキ/魂の違いがわかりません。
Tim: その想定はさておき、このように考えてみてはどうでしょう。
あなたは今、非物質的な現実を体験しています ・・・ それをサイキと呼びましょう。
サイキの中で、あなたは自分自身に話しかけるのを想像することができます・・・ これを思考と呼びましょう。考えることに意識の注意を向けると、あなたは他のことに完全な注意を向けることはできなくなります。思考以外の他のことに注意を向けたい場合は、しばらくの間、思考に注意を向けないようにする必要があります。
ですから、神を意識するには、思考も含めて他のことに注意を向けるのではなく、神に注意を向ける必要があるのです。
Reiko: ありがとう、ティム。それでは、反応と感情はどうですか。
神を知るためにはノーマインドになる必要があるから、なるべく考えずにノーマインドになろうと取り組むと、人は思考しないようになります。しかし、感情をコントロールするには理性を用いる必要があるので、考えることを手放すと人は往々にして感情的になって、簡単に反応してしまいがちです。また感情を抑圧すると病気になるというスピリチュアルな教えを聞くと、幸せとは逆の感情がもたらすホルモンは不快感を伴うので感情を抑圧すると確かに体によくないように思えて感情をコントロールできず、そのまま反応するようにもなりがちのように思います。また感情はその人に常に正しいことを伝えてくれているとか、感情を直感とみなしている人もいます。
このように感情の扱い方はとても難しいのであなたに尋ねたいことがたくさんありますが、ここでまず伺いたいことは、脳は簡単に騙されて誤認識し、その誤認識から感情を生み出すホルモンを分泌することもできるので、感情に対してもファンダメンタル・リフレクション/根本的な熟考が必要ではないかとわたしは考えています。しかし直観は理になかっていないこともあるので、根本的な熟考を直感に対して行うのは難しいと感じています。
Tim: わたしたちがどのように現実を知覚/認識するのかは、わたしたちの感覚器官とアイディアに依存していますーー これをわたしはサイセンス(私たちのサイキ/魂と感覚器官で宇宙を感知、知覚するということ)と呼んでいます。ですから、サイセンシングとは、 心と体を持つ、つまり心理生物学的システムをもったわたしたちが、サイキと感覚器官を駆使して察知して理解するという情報処理することで、常に宇宙を認識しているということです。
わたしたちは大抵は無意識のうちに、常にアイディアで現実を察知して認識しています。しかし思考することで、わたしたちが人生(あるいは人生で起きていること)をどのように理解しているかを問いかけることができます。こうしてわたしたちは、わたしたちにとって可能な範囲で、最善の理解を見出すことができるのです。
感情とは、私たちが知覚/認識したものにどのように反応するかということです。最も原始的な形の感情は”戦うか逃げるか”というような行動の準備となるものです。
ところがある特定の記憶や、その記憶がもたらす感情を抑圧している場合は、自分自身で過去のことを適切に処理することができないようにさせているのです。つまりこれは、前に進むために役立つ過去の出来事から何も学ぶことができない状態だということです。それはまた、何かがわたしたちの意識上に浮上するのを阻止しようとして無意識的にエネルギーを使って抑圧しているため、わたしたちの全般的な情報処理の機能が十分に働いていないという可能性もあります。これは心理生物学的システムの一つ であるため、身体的影響だけでなく心理的影響もある可能性があります。それにはいくつかのエビデンスもあるようです。
直感はとても役立ちますが、ただ単に無意識的な想定の可能性もあるので、ファンダメンタル・リフレクション/根本的な熟考で問いかける必要があります。
これらのことはとても深いのですが、明確にするために端的にしてみました。
Reiko:それでは、わたしたちは常にサイセンシングを行っているということのですね?
Tim: はい、 意識的にも無意識的にもです。
Reiko:それではサイセンシングがわたしたちの意識の基盤となるものだと考えていいですか?
Tim:はい 、そうです。 サイセンシングはわたしたちが宇宙における情報を察知して理解する方法です。
Reiko:ということは、わたしたちが神だけしか意識していないと感じているとき、つまりノーマインドのように感じていても、その背後にはサイセンシングが働いているということですね?
Tim: はい、まさにその通りです。 宇宙の情報を察知して理解しなければわたしたちは何も 知覚/認識することができません。つまり、神でさえもです。
Reiko:つまりノーマインドのように感じてはいても、それでもその背後ではサイセンシングが働いているーーつまり、わたしたちはサイセンスの働きには気づかずにノーマインドのように感じているだけなんですね!
Tim: はい、そうです。ノーマインドとはただ単にわたしたちが思考に意識を向けていないということですーー思考とは自分自身と話すことを想像するということです。
Reiko:そうするとサイセンスとは、あるスピリチュアルな伝統で言われている”純粋意識”とか”純粋知性”みたいなものに思えます。
Tim: いいえ、まったく違うものです。サイセンスとは、わたしたちの心理生物学的システムが宇宙とわたしたちとの関係を情報処理して理解するために行うことですーー これはとても複雑で、 まったく純粋/単純ではありません。サイセンシングには、神経系の感知システムと観念的なネットワークという複雑さも含まれるので、わたしたちが知る限り、宇宙全体で最も複雑なものだと言えるでしょう。
**********
<ティム・フリーク オンラインのご案内>
日時:2022年11月10日(木)19:30〜
*毎月第二木曜開催中。次回は12月8日(木)開催です。
お申し込みは随時行っていますが、テーマは直前のご案内になります。
公式サイトのお申し込みフォームからお申し込みください。
本日午後6時までお申し込みをお受けします。
受講料には日本語への通訳や後日お送りする録画や資料も含まれます。
録画でのご参加もお受けしますが、初回ご参加の方はリアルタイムでご参加ください。
詳細などはティム・フリーク日本語版公式サイトをご覧ください。
https://timfreke.jp/
Posted by 今西礼子 at 15:26│Comments(0)
│スピリチュアル│ティム・フリーク│デヴィー/デボラ・オーシア・フリーク│オンライン・プログラム│オンライン・セミナー オンライン・リトリート
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。