2011年06月02日
あなたはどこにいますか?
「実在していないのであれば、あなたはどこにいる?」
――レナード・ジェイコブソン
今、この瞬間に存在していないと気づいたら、
自分がどこにいたのか問いただしてみましょう。
過去にいたのか、未来にいたのか、
自分のパターンに気づくといいでしょう。
――レナード・ジェイコブソン
今、この瞬間に存在していないと気づいたら、
自分がどこにいたのか問いただしてみましょう。
過去にいたのか、未来にいたのか、
自分のパターンに気づくといいでしょう。
Posted by 今西礼子 at 13:09│Comments(2)
この記事へのコメント
Posted by エンジェル・ダスト at 2011年06月10日 14:38
エンジェルダストさん、コメントありがとうございます。
おっしゃるとおり、批判のエネルギーは利己性によるものです。
自分が批判的になっていると気づいたら、そこに利己性が介入しているということです。そういうときには実在に戻るようにというサインとすると、次第に自分の利己性の癖もつかめてくると思います。実在の状態では、批判のエネルギーは存在しません。何か自分の意見をいうときであっても、実在の状態であれば、批判的に言うことはないでしょう。
そうです、妄想は利己性と心(マインド)の世界ですから、気をつけましょう。
『Journey into Now 「今この瞬間」への旅』をさらに読み込んでくださっていて、嬉しく思います。
今西礼子
おっしゃるとおり、批判のエネルギーは利己性によるものです。
自分が批判的になっていると気づいたら、そこに利己性が介入しているということです。そういうときには実在に戻るようにというサインとすると、次第に自分の利己性の癖もつかめてくると思います。実在の状態では、批判のエネルギーは存在しません。何か自分の意見をいうときであっても、実在の状態であれば、批判的に言うことはないでしょう。
そうです、妄想は利己性と心(マインド)の世界ですから、気をつけましょう。
『Journey into Now 「今この瞬間」への旅』をさらに読み込んでくださっていて、嬉しく思います。
今西礼子
Posted by 今西礼子
at 2011年06月11日 15:39

※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
レナード氏の本で学んだことで今日になって気づいた『自由』であることについてです
僕の親は思ったことを上手く言葉にして伝えるのが苦手で
一つのことを伝えるのに25秒で済む内容を話すのに5分はかかるケースが多いのですが
今日もですが僕は親のその言葉の拙さ(つたなさ)にもどかしくてイライラして親の言葉の拙さを批判することがよくあるのですが
これは
『優劣によって自分や他者をランク付けして
優れている人を賛美して
劣っている人を批判する』という
愛の欠落した考えだと気付きました
僕の考えることは思いやりに欠けていたというということです
僕自身か親か他者がどこか劣っている要素があると決めつけてたから僕は今までずっと文句を言っていたのです
劣っている人間を批判したりするような事を頭で考えることの裏返しが
優秀な人間を絶賛するということだったのだと思います
劣っている人を批判する時も
優秀な人間を絶賛する時も
そこに愛は実在(プレゼンス)していないと思います
レナード氏は思考を超越した自由であること
実在(プレゼンス)に至るには自分がどう考えたのかそれをただ認めることだといいます
僕の場合で言えば
「僕は劣っている要素のある人を批判したりする考えを持っていた」と
そう考えたという事実をただありのままに認めることだと言います
そうすることで
「なーんだ 僕はそういうことで延々考える癖をもっていたのか
どうしてこんなただ気づくだけで解決できる簡単な思考のトラップに引っ掛かり続けて延々考え込んでいたのだろう」
と気付けるとレナード氏は言います
今後もしまた劣っている人を非難して
優秀な人間を賛美するという僕の思考の癖がでたら
「あっ また例の考え方の癖のスイッチが入った」とすぐに気付いて
思考の囚われから目覚めて
心が『自由』であることを選択することだできるのだそうです
心が『自由』であるとは実在(プレゼンス)であることを選択するということだとレナード氏は言います
『自由』とは妄想することだと僕は思っていたのですが
人間は『自由』に妄想することすらできないようです
妄想するとはすなわち思考し続けるということ
妄想するとは思考に囚われているということのようです
僕はまだ『自由』であることが解ってないです