2011年05月15日
ウエサク祭
今年のウエサク祭は5月17日です。
ウエサク祭りは以前、ブログでもご紹介させていただきましたが、
5月の満月は、仏陀の満月といわれ、仏陀がこの地上を祝福するために戻ってくるといわれています。
京都、鞍馬寺の説明によると、「5月の満月には、天界と地上の間に通路が開かれ、ひときわ強いエネルギーがふりそそがれる」とあります。
毎年、ウエサク祭が近づいてくるにつれ、
この地上のバイブレーションがとてもやさしく穏やかだとわたしは感じていました。
そして、ウエサク祭の前後3日間は、その影響があるというのを知り、納得しました。
わたしたちは惑星の動きの目に見えない影響も知らず知らずに受けていますが
その影響とは電気をつけたり、消したりというように、はっきりしたものではないと
以前、インド占星術師から聞きました。
確かに、太陽が昇るときは徐々に明るくなり、太陽が沈むときは徐々に闇となる。
月の満ち欠け、花が咲き開くとき。
自然界に在るものの、動きは電気や電気製品のスイッチとは異なり、徐々に起こります。
先週、レナードが著書の、『Journey Into Now「今この瞬間」への旅』の中だけでなく、ワークショップでも、実在にある、「今、この瞬間」に在ることを穏やかに覚えていることが大切だと言っていましたが、この自然界の動きを見ると、そのことを理解するひとつのヒントになるような気がしました。自然はわたしたちに多くのことを教えてくれます。
災害は突然のように思えても、微細なレベルでの警告はあります。
ただ、わたしたちが鈍感になっていて、気づかないだけです。
スマトラ沖の津波が起きたとき、わたしは南インドに滞在していましたが、
津波が村を襲う前に轟音のような音が近づいてくるが聞こえました。
しかし、その前兆はもっと前からあったに違いありません。
ただ、わたしたち人間の感覚機能が、思考に溢れているとあまり機能しないのでしょう。
実在にあると、五感も、直感的も研ぎ澄まされてきます。
動物は花や植物のように、ただ、シンプルに存在するだけなので、
天災も事前に察知しやすいのではないかと思います。
そして、白黒はっきりではない、そのグラデーションの部分が自然界のやさしさなのではないかと。
それが二元性のセンターにいることを学ぶヒントにもなるかもしれません。
このように自然の摂理を注意深く観察すると、変化がすぐ起きないからと何かをやめる、人の欠点が見えたとき、その人のすべてが嫌になってしまうというのは、利己性が主導権を握りたい、そのための策略のようにも思えてきます。
グラデーションの部分に懐の深さを見出して、実在に在ろうとすることを、あきらめない。
ただ、利己性を排除しようとしたりしようとすると、利己性が猛反発して、精妙なトリックを使おうとするでしょう。
真のマスターであれば、利己性を愛で包み込むという許容が、利己性と戦わないようにする鍵にもなります。
ただ寛いで、目には見えないけれど、全身でこの地上に溢れているウエサク際のバイブレーションを感じると、仏陀の恩寵がハートに、そして、魂にまで、浸透してくるように感じませんか。
そして、「今、この瞬間」に「ここ」に在るという、神様からの最上のギフトも充分に楽しむことができるでしょう。
ウエサク祭りは以前、ブログでもご紹介させていただきましたが、
5月の満月は、仏陀の満月といわれ、仏陀がこの地上を祝福するために戻ってくるといわれています。
京都、鞍馬寺の説明によると、「5月の満月には、天界と地上の間に通路が開かれ、ひときわ強いエネルギーがふりそそがれる」とあります。
毎年、ウエサク祭が近づいてくるにつれ、
この地上のバイブレーションがとてもやさしく穏やかだとわたしは感じていました。
そして、ウエサク祭の前後3日間は、その影響があるというのを知り、納得しました。
わたしたちは惑星の動きの目に見えない影響も知らず知らずに受けていますが
その影響とは電気をつけたり、消したりというように、はっきりしたものではないと
以前、インド占星術師から聞きました。
確かに、太陽が昇るときは徐々に明るくなり、太陽が沈むときは徐々に闇となる。
月の満ち欠け、花が咲き開くとき。
自然界に在るものの、動きは電気や電気製品のスイッチとは異なり、徐々に起こります。
先週、レナードが著書の、『Journey Into Now「今この瞬間」への旅』の中だけでなく、ワークショップでも、実在にある、「今、この瞬間」に在ることを穏やかに覚えていることが大切だと言っていましたが、この自然界の動きを見ると、そのことを理解するひとつのヒントになるような気がしました。自然はわたしたちに多くのことを教えてくれます。
災害は突然のように思えても、微細なレベルでの警告はあります。
ただ、わたしたちが鈍感になっていて、気づかないだけです。
スマトラ沖の津波が起きたとき、わたしは南インドに滞在していましたが、
津波が村を襲う前に轟音のような音が近づいてくるが聞こえました。
しかし、その前兆はもっと前からあったに違いありません。
ただ、わたしたち人間の感覚機能が、思考に溢れているとあまり機能しないのでしょう。
実在にあると、五感も、直感的も研ぎ澄まされてきます。
動物は花や植物のように、ただ、シンプルに存在するだけなので、
天災も事前に察知しやすいのではないかと思います。
そして、白黒はっきりではない、そのグラデーションの部分が自然界のやさしさなのではないかと。
それが二元性のセンターにいることを学ぶヒントにもなるかもしれません。
このように自然の摂理を注意深く観察すると、変化がすぐ起きないからと何かをやめる、人の欠点が見えたとき、その人のすべてが嫌になってしまうというのは、利己性が主導権を握りたい、そのための策略のようにも思えてきます。
グラデーションの部分に懐の深さを見出して、実在に在ろうとすることを、あきらめない。
ただ、利己性を排除しようとしたりしようとすると、利己性が猛反発して、精妙なトリックを使おうとするでしょう。
真のマスターであれば、利己性を愛で包み込むという許容が、利己性と戦わないようにする鍵にもなります。
ただ寛いで、目には見えないけれど、全身でこの地上に溢れているウエサク際のバイブレーションを感じると、仏陀の恩寵がハートに、そして、魂にまで、浸透してくるように感じませんか。
そして、「今、この瞬間」に「ここ」に在るという、神様からの最上のギフトも充分に楽しむことができるでしょう。
Posted by 今西礼子 at 13:23│Comments(5)
│スピリチュアル
この記事へのコメント
Posted by エンジェル・ダスト at 2011年05月24日 10:42
さっきの僕の書き込みはマインド(幻)の世界の中で答えを求めてさまよっていたのかもしれないです
「僕はわかりました」とはとても言えないです
「僕はわかりました」とはとても言えないです
Posted by エンジェル・ダスト at 2011年05月24日 15:18
僕は統合失調症なのですが
統合失調症患者の特性として
「自分の視点でしかモノが見えない」
というところがあります
僕は統合失調症を克服するためにもレナード氏の本を読んでいます
レナード氏の語っていることを踏まえたうえでの気付きです
僕にはこの世界はAように見えます
コンノケンイチ氏にはこの世界はBのように見えます
ホーキング氏にはこの世界はCのように見えます
レナード氏には世界はDのように見えます
今西礼子氏には世界はEのように見えます
どれも事実です
世界を見る視点と位置は人によって違うのだから
人によって世界は違った姿に見えるのです
見てる視点と場所が違うし
人によって世界を解析する脳の仕組みも違うから世界は異なった姿に見えるけど
それぞれの観測者の個性を理解して
僕にこの世界がAのように見えるということ
コンノケンイチ氏にこの世界がBのように見えるということ
ホーキング氏にこの世界がCのように見えるということ
レナード氏にこの世界がDのように見えるということ
今西礼子氏にこの世界がEのように見えるということ
全て事実で
そこに居る人全員に「世界はどう見えているのか?」を誠実に聴いて
初めて では『この世界の真実の姿とは?』と解るのではないかと思いました
レナード氏の言うワンネス(一体性)という意味はなんだろう?
地球上の僕らは全員自分個人の視点からしか世界が見えない
世界は一つしかない
しかし人の数だけ違う姿の世界が存在する
つまり一人の人間の視点からだけでは世界の真実の姿の全ては明らかにならないということでしょうか?
僕には世界はこのように見える
しかし僕の視点と角度からだけで世界の真の姿が全て見えてるとはとても思えないです
あくまで僕の視点からは世界がそう見えているというこです
僕の視点が間違っているわけではないですが僕だけが絶対正しいわけでもないです
あくまで「僕には世界がこう見えてるんだけど....」ということです
他の人が「俺にはそうは見えないな 俺には世界はこう見える」というのであれば
それもまたこの一つの世界を異なった視点と位置から
この一つ世界の別の姿を見ているということだと思います
世界は見る角度によって全く違う姿に見えるということだと思います
自分の見ている世界だけが世界の姿の全てではないということです
常識的なことかもしれませんが僕は他者の見ている異なった姿の世界に気づいていませんでした
統合失調症患者の特性として
「自分の視点でしかモノが見えない」
というところがあります
僕は統合失調症を克服するためにもレナード氏の本を読んでいます
レナード氏の語っていることを踏まえたうえでの気付きです
僕にはこの世界はAように見えます
コンノケンイチ氏にはこの世界はBのように見えます
ホーキング氏にはこの世界はCのように見えます
レナード氏には世界はDのように見えます
今西礼子氏には世界はEのように見えます
どれも事実です
世界を見る視点と位置は人によって違うのだから
人によって世界は違った姿に見えるのです
見てる視点と場所が違うし
人によって世界を解析する脳の仕組みも違うから世界は異なった姿に見えるけど
それぞれの観測者の個性を理解して
僕にこの世界がAのように見えるということ
コンノケンイチ氏にこの世界がBのように見えるということ
ホーキング氏にこの世界がCのように見えるということ
レナード氏にこの世界がDのように見えるということ
今西礼子氏にこの世界がEのように見えるということ
全て事実で
そこに居る人全員に「世界はどう見えているのか?」を誠実に聴いて
初めて では『この世界の真実の姿とは?』と解るのではないかと思いました
レナード氏の言うワンネス(一体性)という意味はなんだろう?
地球上の僕らは全員自分個人の視点からしか世界が見えない
世界は一つしかない
しかし人の数だけ違う姿の世界が存在する
つまり一人の人間の視点からだけでは世界の真実の姿の全ては明らかにならないということでしょうか?
僕には世界はこのように見える
しかし僕の視点と角度からだけで世界の真の姿が全て見えてるとはとても思えないです
あくまで僕の視点からは世界がそう見えているというこです
僕の視点が間違っているわけではないですが僕だけが絶対正しいわけでもないです
あくまで「僕には世界がこう見えてるんだけど....」ということです
他の人が「俺にはそうは見えないな 俺には世界はこう見える」というのであれば
それもまたこの一つの世界を異なった視点と位置から
この一つ世界の別の姿を見ているということだと思います
世界は見る角度によって全く違う姿に見えるということだと思います
自分の見ている世界だけが世界の姿の全てではないということです
常識的なことかもしれませんが僕は他者の見ている異なった姿の世界に気づいていませんでした
Posted by エンジェル・ダスト at 2011年05月25日 20:52
エンジェル・ダストさん、シェアをありがとうございます。
まったくお気づきの通りだと思います。
真実をお互いに主張している限り、小さな紛争が絶えません。
そのような真実は、この地球の人口の数だけあるからです。
沈黙の状態での真実を多くの方々が気づかれると
それが2人の間の和解や平和から、社会や世界へと広がっていきます。
エンジェル・ダストさんの書き込みは
マインドの世界でさ迷っていたのではなく、
実在の状態での気づきだと思います。
レナードの本を読み返す度に、気づきが増します。
また、シェアしてくださいね。
まったくお気づきの通りだと思います。
真実をお互いに主張している限り、小さな紛争が絶えません。
そのような真実は、この地球の人口の数だけあるからです。
沈黙の状態での真実を多くの方々が気づかれると
それが2人の間の和解や平和から、社会や世界へと広がっていきます。
エンジェル・ダストさんの書き込みは
マインドの世界でさ迷っていたのではなく、
実在の状態での気づきだと思います。
レナードの本を読み返す度に、気づきが増します。
また、シェアしてくださいね。
Posted by 今西礼子
at 2011年05月25日 21:11

エンジェル・ダストさん、
前のわたしのコメントは最初の2つの書き込みにさせていただきました。
コメントが前後して失礼しました!
エンジェル・ダストさんはいい点にお気づきになったと思います。
鳥が段々と、地上から大空に舞い上がっていくとき
地上を見渡す様子を想像してみてください。
俯瞰の範囲が広がりますよね。
思いやりとは、他の人の視点や立場や考え方を
俯瞰で見つめると生じるのではないかと思います。
そして、俯瞰で観つめることによって
利己性(エゴ)や心(マインド)も超えるようになってきます。
レナードの言うワンネスとは、
個々の世界を超えて「ひとつ」の世界にやってくることです。
しかし、それは利己性(エゴ)と心(マインド)の、
個々の世界から離れる必要があるということです。
お互いが実在に在ることによって、はじめて「ひとつ」の世界にやってきます。
その状態とは沈黙です。
お互いの真実や主義・主張を語ることを止めたとき、
そして、実在に在るときに
はじめて沈黙の状態となります。
実在に在ると、わたしたちは愛そのものになります。
そこでは、お互いの真実を語る必要もなくなってきます。
思考をストップさせてみましょう。
そして、レナードの言葉に瞑想してみてください。
すると、実在の状態になって
「ワンネス」がどういうことか
体験から理解できるようになるでしょう。
前のわたしのコメントは最初の2つの書き込みにさせていただきました。
コメントが前後して失礼しました!
エンジェル・ダストさんはいい点にお気づきになったと思います。
鳥が段々と、地上から大空に舞い上がっていくとき
地上を見渡す様子を想像してみてください。
俯瞰の範囲が広がりますよね。
思いやりとは、他の人の視点や立場や考え方を
俯瞰で見つめると生じるのではないかと思います。
そして、俯瞰で観つめることによって
利己性(エゴ)や心(マインド)も超えるようになってきます。
レナードの言うワンネスとは、
個々の世界を超えて「ひとつ」の世界にやってくることです。
しかし、それは利己性(エゴ)と心(マインド)の、
個々の世界から離れる必要があるということです。
お互いが実在に在ることによって、はじめて「ひとつ」の世界にやってきます。
その状態とは沈黙です。
お互いの真実や主義・主張を語ることを止めたとき、
そして、実在に在るときに
はじめて沈黙の状態となります。
実在に在ると、わたしたちは愛そのものになります。
そこでは、お互いの真実を語る必要もなくなってきます。
思考をストップさせてみましょう。
そして、レナードの言葉に瞑想してみてください。
すると、実在の状態になって
「ワンネス」がどういうことか
体験から理解できるようになるでしょう。
Posted by 今西礼子
at 2011年05月25日 21:36

※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。 |
EARTH BLOG スペシャルブログ
地球で起きている数々のドラマを伝える人、その向こうを見る人を応援します。
過去のツラい体験が沸き起こった時
言い訳したりせず
そのツラい感情をただありのままに感じるという
レナード氏の言う実在(プレゼンス)するということを意識したら
今日絡まっていた心の紐が解け出した感覚を体験しました
以下今日の気付きです
僕は幼少の頃親にロクに世話をしてもらえなかったと思っていて
僕の育てられ方が統合失調症の原因だったと詳細に親にクドクド話すことがあったのですが
それは僕がなぜ統合失調症になったのかの本当の原因をつまり『真実』を明らかにしてそれを親に伝えたつもりだったのですが
しかし今日親には親の言い分があって親には親の『真実』があるということに気付きました
僕は今まで
「私は『真実』を知っているが あなたは知らない だから特別に私が『真実』をあなたに教えてあげよう」
と 他人に真実を教えたつもりになっていて
「私の言う『真実』をあなたが『真実』だと理解できるようにできるだけ詳しく分かり易く教えてあげよう」
という態度をとっていたのですが
僕が見えているものが それが『真実』だと100%確信していても
それは僕には当てはまる『真実』であって
他者には他者の『真実』があり他者の言い分があり
僕の『真実』を他者にクドクド詳細に説明して押し付けるのは僕の利己性(エゴ)だと気付きました
僕には僕に当てはまる『真実』があって
でも他者には他者が見えてる『真実』があるので
それが信じているモノが違うということになるのだと思います
僕の『真実』は他者に詳細に分かり易く説明しても他者には『真実』になり得ないことがあることに気づきました
僕の見えてる『真実』がどんなに正しく見えても僕にとっての『真実』を他者に強引に押し付けるのは僕の利己性(エゴ)だと気付きました
人には人それぞれの『真実』があり人によって言い分は違う
ということです
レナード氏の本はまだまだ読み込むつもりです