実在の状態で素のままの自分を表現させる

今西礼子

2011年10月12日 10:47

「わたしたち各々は『ひとつ』のユニークな表現です。存在することの一番大切な目的は、実在とワンネスにつながり、ユニークな大いなる存在であるあなたそのものとして、あなた自身を、完全に、そして、素のままに表現することです」レナード・ジェイコブソン


たまに思い違いをしてしまうのが、わたしたちが実在とワンネスにつながっていなくても、完全に自分自身を表現してしまうということです。マインドやエゴが大いなる存在や神様の道具となっていないときに、思いっきりその自分を表現してしまうと、周囲によい影響を及ぼしません。それは真の意味でストレスを溜めずに発散させることではないのです。自分が発したものは、必ず、後で自分に戻ってきます。たとえば、自分が他者にぶつけた怒りは、必ず、後で自分自身に戻ってきます。


いつもレナードは怒りを表現しなさいといっているものの、同時に強調していることが、誰にも怒りをぶつけずに、一人きりでその怒りを表現させるということです。抑圧した怒りなどの感情は、それがうっ積してくれば病をも引き起こすほどの、シリアスな問題と発展することがほとんどです。自分が怒るのは、内面に溜めてきた怒りの貯蔵庫をもっているために、何かをきっかけにして怒りがあふれくるということをいつもレナードは強調して語っています。


ただ、時には、表面的に怒りを表現しなくてはならないときがあります。たとえば、子供が危険なことをしている場合は、親は内面では起こっていなくても、子供への愛から怒りを表現しなくては、子供はそれが本当に危険なことだと認知できません。正しい識別力をもちいた判断が必要となります。


自分自身が実在の状態で愛に溢れているときに、素のままの自分自身を思い切り表現すると、それは神様や周囲への贈り物ともなります。愛から行動しているのか、怒りや恐れから行動しているのかが、判断の鍵となります。