セドナツアーにご参加いただきありがとうございました
2011年春のセドナツアーは、年明け早々にセドナ行きの決意を固めてご連絡をいただきいた5名の方をご案内させていただきました。ブログでのアップが遅くなりましたが、皆様、あらためて、ありがとうございました。
震災の影響で、年明けからセドナ行きの準備をされていたものの、出発1週間前に決行されることを決断されたグループでした。本来は6名でのご参加予定でしたが、1名の方の地元が津波の打撃を受けてキャンセルとなりました。わたしの他のスケジュールも震災後に変わったので、ツアーも決行は難しいと懸念してたところに、舞い込んできた「セドナに行きます」というタイトルのメール。わたしはこのメールに胸がいっぱいになりました。この時期にセドナに行くということは、あの赤い聖なる大地への真摯な気持ちがなくては行動には移せません。揺るがない強い想いがあってのことです。
そして、その皆さんの想いを受けて、わたしも決意して行動を起こしました。そのお知らせを受け取ったとき、セドナツアーはほぼないと思い、わたしは当初の予定を変更して、インドからシンガポールに帰国の途中でボランティア活動をしていました。万が一のときでもセドナまで行けるように心積もりはあったものの、まずはセドナにたどり着くというのが、今回のセドナツアー決行の、最初の課題となったのでした。海外でも出発前日にチケットを手配することに慣れてはいても、今回は震災の影響を受けている中で、シンガポールから東京、そして、東京からアメリカ、そして、アメリカの国内線を乗り継ぎセドナまでという道のりは予想した以上に困難でした。しかし、どうにかなるという強い想いがあったのです。目的地がセドナだったので、わたしはあまり心配していませんでした。今まで、セドナに行くべきときは、一見困難なように見えても、最終的にはすべてがスムースになることを経験してきたからです。その逆に、セドナから去ろうとしても、戻って来なくてはならないときは、行く手を妨げるハプニングが起こってまたセドナに戻るという事態が起こったこともありました。セドナの大地への強い信頼があえば、大地が導いてくれます。今回、最悪に思えた状態が、最後の瞬間に最善の状態へと変わり、さっと道が開かれたのでした。そして、ツアー参加者の方々のご協力も得て、皆様とともに現地入りできたのでした。
今回のツアーでは、わたし自身も使命感のようなものをもって臨みました。母なる大地は今、ほんとうに悲鳴を上げています。災害は母なる地球叫びです。そして、この時期にセドナを訪れるというタイミング。地球の存在を身近に感じて、地球や大地との一体感を得やすい聖なる大地で、ツアー参加者の方々と祈りを捧げたいという強い想いがわたしの内面から沸き起こりました。昔から祈りを捧げられてきた聖なる大地、セドナ。この場そのものが教会の役目を果たしてきました。母なる地球への祈り、被災地への祈り、被災者の方々への祈り、そして、現地で必死の復興作業をされている方々への祈り…祈りが届くことを願って、早朝のボイントン・キャニオンと、夕暮れのレッドロック・クロッシングで皆さんと共に、祈りを捧げることができたことは、わたしにとってもとても思い出深いツアーとなりました。10年以上前に、強い祈りをもってセドナの大地を歩んでいたときに、雲が突然湧き出て、虹色に輝き蠢いたという体験を拙本に記しましたが、今回、皆さんともにオーククリークの辺で彩雲を見つけたときは、今回の祈りを受け取ったという大地からのサインのように思えました。今回の彩雲も映像に収めることができました。
そして、映像というと、わたしの脳裏に強く残っているのは、ツアーご参加者のセドナでのとっておきの笑顔です!
カセドラル・ロックの鞍部までお連れしたときに、笑顔と涙で、死ぬときも、死んでも忘れない!ここに連れてきてくれてありがとう!!!と叫びながら泣いていたMさん。わたしも感動して一緒に涙しました。
素敵な笑顔で心静かに大地と一体に横になっていたYさん。大きな癒しも起こっていたように思えました。
クリスタルボールとともに、歌を大地に感謝を捧げていたTさん。赤い大地とつながっていらっいましたね。
そして、大らかな宇宙の守り人であるS夫妻。セドナの大地をすたすた歩かれ、溶け込んでいっらしゃいました。次回はホピの大地まで足を延ばしましょう。
セドナの聖なる大地での体験が、皆様の人生で特別なものとしていつまでも輝いていますように。
皆様にセドナでお会いでき、そして、セドナの大地をご案内できたことに感謝をこめて。
今西礼子
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